「やる気」の弊害
「やる気」に頼っていては、物事はなかなか前へ進まない。
絵を描くにしても、部屋の掃除をするにしても、筋トレやダイエットをするにしても、「さあ、絵を描くぞー!」「今日は部屋の掃除をするぞー!」と、意欲ややる気を出して行動したとしても、それは長続きしない。
集中して絵を描き上げても、部屋の片付けを終えても、いっときの達成感は感じるが、大きな負荷によって心身は疲れてしまう。
そんな疲れてしまうことを「脳」はもう一度やろうとするだろうか?
やる気に頼って行動する人は、再びやる気が起きるのを待ち伏せする。やる気次第で行動が制限され、物事が遅々として前へ進まない。焦りが生じ、疲れる。
さらに良くないことに、やる気を出して行動することがクセになっている。
自分がやる気を軸に行動してしまっていることすら無自覚だ。
やる気の弊害は疲れて長続きしないことだけではなく、たとえば、絵は描き上がっても体調を崩してしまう。部屋は片付いたが仕事が溜まってしまった。など、偏りや停滞を生む。
最終的に「脳」は、もう一生「やる気」なんか出さないようにする!と判断しかねない。
やる気を失った人はもう何もしたくなくなり、目標や夢を手放す。
「やる気」ではなく「行動」に注目する
「やる気」ではなく「行動」
たいへん重要なものの見方、考え方なのだが、やる気を起こして行動することがクセになってる人にはなかなか伝わりにくい実感しにくいところでもある。
やる気があろうがなかろうがただ行動するということ。
行動さえすれば、意欲はあとからついてくる。始める前は面倒に感じても一度始めてしまうことで脳は興奮し創作が進む。(作業興奮)
いつ行動をするのか。それは時間と準備しておいたタスクが決める。
決められた時間に決められたことをする、タスクを実行する。時間管理で行動する。
やる気を利用するのではなく、作業興奮を利用する。
行動の連続、積み重ねによって成果を得ることができる。
ここに気づき、実感できるかどうかが大きな分かれ目なのだ。
やる気で行動してる人は時間管理で行動することについて、それじゃあなんだかロボットみたいと感じる方もいるようだ。だが実際は、時間管理で行動するやり方こそ自然界がやっているやり方だ。桜は毎日の平均気温の積算が400度になると開花する。やる気があるから開花しているのではない。
行動を自然と続けられる仕組み
目標を具体化し、書き出しタスク化する。
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一日のやるべき小さな項目を、時間をあわせて行動する。
できるだけ同じ時間に同じことをしてみる。
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小さな達成感の連続。脳はこの行動はメリットが大きいと判断。
考えずとも行動できるようになれば、習慣化の完成。
やる気があろうがなかろうが、朝の歯磨きのようにただやる状態になる。
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タスク完了のあとは、しっかりと休息の時間を設ける。
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タスクの見直しをする。振り返り、項目を改善することで成果に最短でたどり着く。
これらの行動が身につき実行できるようになったとき、やる気で行動をしていたあの頃をなつかしく思うだろう。
「やる気」の壁を超えたら、イヤな疲れからも開放され、一日を気持ちよく過ごせるなど波及効果も期待できる。
時間管理で行動できれば、少しの体調の変化も気づけるようになり、季節の移ろいもぐっと身近に感じることだろう。
やる気の壁を乗り越える。とゆーか、そもそもそんな壁など存在していなかったことに気づく。